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清水みなと界隈ナビ「清水の次郎長」

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清水みなと界隈ナビ:次郎長の生涯

幕末、明治維新にわたり、東海はもとより、その暴れん坊ぶりは全国にその名を轟かせた世紀の大親分、清水の次郎長。広沢虎造の浪曲をはじめ、数々の時代劇、映画などによりその武勇伝も、こん日まで多くの人に語り継がれてきました。が、次郎長がここまで庶民に親しまれ、大親分と呼ばれるのには博徒、ヤクザといった一面だけでは語れません。それまでの半生とうってかわった彼の晩年の生きざまこそ、次郎長の真価と言えるのです。街道の大親分として清水港、清水の町の発展に尽くし、激動の時代に人を愛し、先を見通した実績の数々から清水っこは次郎長を愛しているのです。
次郎長 年表
西暦 年齢  
文政三 1820 1 一月一日 駿河国有度郡清水町美濃輪に生まれる。
十一 1828 9 禅叢寺の寺子屋に読み書きを学ぶが、
いたずらが過ぎて退塾。
天保五 1834 15 江戸行きを希望するが許されず百両あまりを持って家出。浜松で米相場によって巨利を博し、清水に戻って家人を驚かす。
1839 20 旅の僧、長五郎の人相を見て二十五歳
までの寿命と占う。賭博場への出入り
始まる。
十三 1842 23 博打のもつれから人を傷つけ清水を離れる。
弘化四 1846 28 初代おちょうを娶り、清水仲町妙慶寺門前に世帯を持つ。子分十人。
安政五 1858 39 初代おちょう病気で死去。
安政六 1859 40 大政、石松などを連れ、甲州上州、越後、加賀、越前、さらに四国へと長い逃避行。
万延元 1860 41

★石松だまし討ちに★
石松、金比羅神社に礼参りに行かされる。帰路、都田吉兵衛兄弟に二五両をだまし取られて惨殺。

次郎長一家、梅蔭寺住職の振る舞ったフグにあたり子分数名死亡。

文久元 1861 42 次郎長一家がフグで倒れたと聞き、報復をおそれていた都田吉兵衛兄弟が逆襲を企て清水へ向かう。
都田兄弟が追分にいるところを大政らが襲い石松の恨みを晴らす。
慶応二 1866 47 ★荒神山の血闘★
笠砥神社(三重県)の祭礼の賭場に黒駒の勝蔵一味が集結。吉良の仁吉、大政ら清水の一党二十二人が荒神山で血闘。
仁吉は重傷。法印の大五郎ら討死。
次郎長は手勢四百人あまりを引き連れて船で伊勢へ渡り、安濃徳らは陳謝する。
明治元 1868 49

★地域の世話役に★
次郎長、昔年の罪科を免じられ帯刀を許される。街道警護を命じられる。
黒駒の勝蔵が変名して駿府に来る。見抜いた次郎長が勝蔵の江尻通過を拒む。

海路、清水港に上陸した旧幕臣とその家族ら難民を炊き出しなどで救護する。

★咸臨丸事件★
咸臨丸、清水港内で官軍に攻撃される。港内に浮遊する幕軍兵の死体を収容し、手厚く葬る。→壮士の墓

明治二 1869 50

二代目おちょう、次郎長の留守中に白昼斬殺される。子分の田中啓次郎が犯人を妙音寺で討ち取る。

山岡鉄舟「壮士の墓」の墓碑銘を揮毫。

幕臣杉亨二(後の初代統計局長官)が次郎長に会い、三保の塩田、有度山の開墾など移住士族の授産の道を探る。

十二月、廻船問屋松本屋の奥座敷で新門辰五郎、次郎長と会い、徳川慶喜警護役を依頼。

明治七 1874 55

★富士裾野開墾事業★
向島の囚徒を使役し、富士裾野(大渕)の開墾を始める。

県令大迫貞清は、激励の歌を贈る。

半田港から清水港へ進出した仲埜・盛田合弁による酒の量販店「中泉現金店」開業に力を貸す。

明治八 1875 56 ★清水港発展に尽力★
清水港は巴川の河口港から外海港に変身。廻船問屋経営者たちに蒸気船による横浜港との定期航路開設を説く。
明治九 1876 57

蒸気船静岡丸が清水港と横浜港間に就航。次郎長は頻繁に横浜に行き、横浜商人と清水港廻船問屋経営者を結びつける。

幕臣新井幹の開いた私塾「明徳館」の一室を使い、近隣の青年を集め英語塾を開設。※このときの様子を再現した展示が次郎長の船宿「末廣」にあります

明治十一 1878 59

波止場築造、港橋架橋完成。アメリカ前大統領グラント将軍来港。次郎長は漁師達を集め投網を披露。

戊辰戦争で不明となった父母妹の行方を尋ね遍歴する天田五郎と会う。天田五郎は次郎長の家に逗留し、次郎長一代記「東海遊侠伝」を執筆。次郎長は全国の親分らに手紙を出し、天田五郎の父母妹探索を支援する。

明治十三 1880 61 横浜の輸出商、静岡の茶商、清水港の廻船問屋の三者による共同出資の株式会社静隆社設立に次郎長が尽力。茶の港、清水港の基礎を築く。
明治十四 1881 62 大政こと山本政五郎死去。富士裾野の開墾続行。
明治十七 1884 65

博徒の一斉刈り込みにより次郎長、監獄へ収監される。懲役七年、罰金四百円の刑。

天田五郎による「東海遊侠伝・一名次郎長物語」が出版。

明治十八 1885 66 次郎長、特赦放免となる。
明治十九 1886 67 向島波止場の白井音次郎所有地に船宿「末廣」を開業。
明治二十 1887 68 興津清見寺にて咸臨丸殉難者記念碑の除幕式。
明治二十一 1888 69 山岡鉄舟死去。次郎長も葬儀に参列。
明治二十三 1890 71 海軍少尉小笠原長生、軍艦天城に乗り込み来港。末廣に次郎長を訪ねる。
明治二十五 1892 73 山田長政顕彰碑建立のため、駿府城内で大相撲興業を催す。
明治二十六 1893 74 風邪がもとで次郎長、死去。梅蔭寺にて葬儀。参列者は三千人を超える。
清水の次郎長
次郎長道中は清水みなと祭り開催期間中、各所で仁義、手踊り、抜刀などの演技を行います
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